2017年1月17日火曜日

豊後関前藩

佐伯泰英の時代小説で、NHKの木曜時代劇でドラマ化された「居眠り磐音 江戸双紙」は豊後関前藩という架空の藩を抜け出した元武士が主人公です。その豊後関前藩の設定が我が街だと言われています(諸説ありますが)。
磐音は直心影流の使い手ということですが、毛利藩は四教堂という藩校を設けて教育に力を入れると共に、直心影流の道場を作って武術の修練にも熱心だったのです。
満月の夜に、磐音が城下の端を流れる川(昔の番匠川と考えられます)に入って、水面に映った月を切るという場面もあります。
同じ「佐伯」と書きますが、泰英氏は「さえき」で、我が街は「さいき」と読みます。

毛利藩は「佐伯の殿様 浦でもつ」と言われたほど、豊後水道は魚介類や海藻が豊富に獲れました。
ドラマの中では藩の莫大な借金を返すために、磐音が販路開拓に一役買い、海路で江戸に運ぶという場面があります。



豊後水道の速い海流が豊かな漁場を育んでいる

ところが、これらの看板が……。

1 件のコメント:

  1. 佐伯藩の領地の出自で、勉学の為江戸に出向く、請われて異国に赴任。今や古稀を得て、江戸府中に在を構える。血筋は、岡藩の竹田の大神家(父方)三重の首藤家(母方)である。我輩は、佐伯藩の宇目の在となる佐保家の存続の為、養子となる大神保二郎と嫁いで来た首藤テル子の長子である。私の学舎は、佐伯鶴谷学館(大分県立佐伯鶴城高等学校)である。豊後関前藩の坂崎磐音は、私のことを指していると勝手に思っている。

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