2017年2月28日火曜日

歩きました、三ヶ月で700㎞&女島の牛

佐伯に戻ってきて、毎日歩き回りました。700㎞を超えました。
すでに三ヶ月経過しましたが、浦島太郎解消のためです。
ストレスは少なくなっているようです。

以前市民だった頃(若い頃)には行ったこともない場所にも沢山足を運びました。
自転車が当たり前でしたが、今考えると行ったことがない場所が沢山ありましたね。
通学以外は、友達の家に遊びに行くくらいで、景色を見て回るというようなことはなかったわけですから。

この地図は、観光案内所で配っている「佐伯市ここからマップ」です。

赤は12月、緑は1月、青は2月です。
女島・新女島以外は歩き尽くした感じです。


直川地区、青山地区、松浦地区、床木地区にも足を伸ばしています。
自転車が軽量化されたおかげです。

実は女島も少し歩いています。小学校の頃は放課後自転車で出掛けて遊んだ場所です。
その頃の記憶を辿って、古い道を歩いていると、牛を飼っている農家を見つけました。
あまり広い敷地ではないのですが、3頭の牛がこちらを見つめています。


この後、左端の牛が私を威嚇するように突進してきて柵のところで止まり、ヒジョーに驚きました。


2017年2月27日月曜日

神明神社

セントラルホテルの隣に「神明神社」が鎮座しています。
広小路という三叉路にある、小さな神社です。
実は、市内に住んでいながら参拝するのは初めてです。


 我が街には珍しい、赤い鳥居がズ~っと並んだ神社。本殿もこぢんまりしています。


 この辺りであった大火をきっかけに建立されたようです。


私が子供の頃にも、この辺りで大きな火事があったと記憶しています。

神明神社には中央通りから参道があります。
右の店は、昔「模型センター」でした。
左は、池田ラジオです。父親から、ソニーのラジオThe11を買ってもらった店です。

うまい門通りの入り口にも灯籠があります。

2017年2月26日日曜日

濃霞山&海運橋

佐伯に海軍の基地があった頃、軍の施設が作られた濃霞山です。
私が子供の頃は「野岡山」と呼ばれていたと記憶しているのですが、今は「濃霞山」と呼ばれている、標高61㍍の山です。
山の名前にこだわるのは、以前呼ばれていた「野岡」は付近の町名として残っているから、いつの間に変わってしまったのか、経緯は分からないのですが。


最近、山頂付近の樹木が伐採され、山頂からの眺望が非常によくなりました。
山の手前に写っている橋は、海運橋です。


伐採後の濃霞山からの眺めです。


ほぼ同じ場所からの景色はこうでした。


最初の写真の海運橋は、終戦まで「海軍橋」でした。佐伯駅前から続くこの道の先は海軍の敷地だったのです。
写真は佐伯駅の写真です。転車台もあったんですね。


興人が廃液を佐伯湾に垂れ流していた当時の写真でしょうか。中央上部が城山です。

2017年2月25日土曜日

佐伯セントラルホテル

私が高校生になった頃(1975年)には、まだ街に活気がありました。
佐伯文化会館ができ、八階建ての寿屋佐伯店ができ、セントラルホテルができました。

セントラルホテルが建てられた場所は、以前映画館があった場所です。
佐伯市としては初めてと言っていいほど、本格的なホテルでした(と見えてました)。


数年前に一度泊まる機会がありました。
もう50年近く前の建物ですから、覚悟はしていたのですが……。


 ベッドの枕元脇に化粧台?しかも非常に高い位置にあり、子供は使いようがありません。



旅行サイトの口コミでは、ボディーソープとリンスインシャンプーが備え付けられているが「入ってなかった」とありましたが、この日は入ってました(安堵)。

2017年2月23日木曜日

三軒家と猪

雨も上がったので、青山から三軒家まで歩いてきました。
三軒家と言えば、その先は蒲江に抜ける轟峠の入り口です。
昔は、父親の出身地である丸市尾行きのバスに乗って、ここから先は山道という場所です。


ここから登り始めます。
今は道も新しくなり、片側1車線になりました。
カーブが少なく緩やかなので、車ならすぐに蒲江まで着いてしまいます。

こちらは旧道です。橋は撤去されていました。
ここにあった橋が大雨で流され、市内から来たバスがここで止まり、仮の橋を渡って向かい側で待機しているバスに乗り換えて丸市尾まで行ったことがあります。険しい道だったなあ。


帰り道は、棚野から山際の道を通って竹角の先に出ました。
そこで見つけたのが……


二本爪の足跡です。イノシシのものです。こんなところにも出てきているんですね。

県内一の人口減少&豊後二見ヶ浦

地元紙「大分合同新聞」の記事によると、佐伯市の人口は、大分市、別府市、中津市に次ぐ県内4番目です。しかし大きな問題を抱えています。
昨年1年間で1,098人減少し71,113人になりました。減少数は県内最高ですし、減少率は1.5%です。
このまま推移すれば、近い将来6万人台になってしまうのは必至です。

私が子供の頃は、佐伯市+南海部郡(上浦町、弥生町、鶴見町、米水津村、本匠村、直川村、蒲江町、宇目町)を合わせて10万人と言われていました。
町村合併時(2005年)の人口は、8万3千人でした。
少なくともこの12年で14.5%減少しており、現在もその率を維持して減少し続けているわけです。
この地域で増えているのは、高齢者と携帯電話の基地局くらいのものだと思います。
何とかこの局面を打破して、底打ちから微増へと転じなければ面積「九州一」が仇となって、行政の効率が極端に低下していくことになってしまいます。

二見浦と言えば三重県伊勢市の観光名所ですが、地味ながら我が街の上浦に豊後二見ヶ浦という夫婦岩があります。
毎年末、大きなしめ縄を掛け替えて、正月を待ちます。
二つの岩の間から登る初日の出を目当てに大勢集まるようです。



伊勢の二見浦に比べても、十分立派な出で立ちだと思いませんか。
ただ、電車からは見えにくいので、気付き難いかもしれません。
実は私も近くで見るのは初めてです。 威厳がありますよね。

2017年2月22日水曜日

イチローロード

イチローと言えば、世界的にもイチロー選手ですが、我が街には昭和を漫画で彩った「富永一郎」さんがいます。
佐伯鶴城高校の先輩でもあります。

 佐伯小学校の入り口に小さな時計台を備えた「第一時計店」
近年、2面の時計はついに役目を終え、丸いプレートに変わりました。
大手前が賑わっていた頃には、商店街の中にあるニシジマ時計店と勢力を二分していましたが、
国道217号を挟んで商店街の反対側にあるため、店も縮小しています。


大手前の第一時計店の前から佐伯鶴城入口交差点までの約500㍍の間に、27基のモニュメントが設けられ、 それぞれに氏の作品が描かれた陶板が埋め込まれています。


一部重複があるので、作品数はモニュメントの数とは一致しません。
出世作「チンコロ姐ちゃん」の作風をモチーフにしています。









2017年2月21日火曜日

四浦の河津桜&蒲戸崎展望台

友人のR二に誘われて、佐伯湾の北端、津久見との境にある四浦に河津桜を見に行ってきました。
まだ大木ではないのですが、道沿いに沢山の桜が濃い桃色の花を咲かせています。
ソメイヨシノもいいのですが、個人的にはこちらの方が桜らしいかなと思います。
東京葛飾の水元公園には大島桜としてソメイヨシノより早く花が咲く木が2~3本ありました。そこそこ大木でしたよ。

東京葛飾区の水元公園の大島桜

こちらは、四浦の河津桜です。水元公園との差は、圧倒的に自然を感じさせる背景の景色です。
豊後水道の海原が目に優しいです。

で、佐伯に戻る前にR二の提案で蒲戸崎展望台に立ち寄ることに。


展望台まで600㍍と謳われていますが、私は疑っています。本当にきつかった。


心臓が止まるかと思いながらたどり着いた展望台から見える、マグロ遠洋漁業で潤った保戸島です。


豊後水道の真ん中に浮かぶ「水の子灯台」です。


伊方原発のある佐田岬です。肉眼では、風力発電の設備も認識できます。