新佐伯大橋の脇に、通称「太鼓橋」と呼ばれている水道橋があります。
私は佐伯に帰って、初めてこの橋が興人ライフサイエンスの所有物だと言うことを知りました。
で、昨日訪れた高畠(たかばたけ)で見つけてしまいました。
興人ライフサイエンス社(昔の興人)が取水ポンプ場を高畠に設けていたのです。
取水施設があります。
この施設の200㍍くらい下流に第一堰があり、汽水域から外れたぎりぎりのところです。
興人の取水口は、直径3㍍位の円形の井戸のようなものが川底に設置されています。
対岸から見た取水口です。
鈍い私でも気がつきました。「ここで水を取って、太鼓橋で番匠川の対岸に渡して、興人まで運んでいるんだ」。
高畠から佐伯湾の埋め立て地、旧海軍航空隊のあったところに興人は立地しています。
距離は6~7㎞でしょうか。
疑問が浮かびます。
①いつこの送水施設は作られたのだろう。
②どこを通っているんだろう。
現在の番匠川の堤防は、治水対策として堅田川と茶屋ヶ鼻の辺りで合流するように、長瀬橋の辺りから緩やかに左に湾曲した河川整備と並行して築かれたものです。
昭和26年頃に着工して、6~7年かけて完成したものです。
私が城南に越してきたのが3歳の頃で、同じアパートに住んでいたおじちゃんが、スクーターのハンドルとおじちゃんの間に私を立たせて、工事現場の凸凹をジェットコースターのように走ってくれたのを覚えています。
「佐伯 興人 送水管」で検索してみると、平成27年の佐伯市議会議事録が出てきました。
それによると、興人の誘致活動が昭和26~27年頃にかけて行われ、昭和28年4月30日に操業開始となっています。
とっても短期間に送水設備が整備されたことに驚きました。更に驚いたのは、佐伯市では送水管がどこを通っているのか、正確に把握していないと言うことです。
流石に公共施設の下(市道など)部分は把握しているそうですが。
私は河川の整備と同時期の事業なので、新河川に沿って埋設したものとばかり思っていました。
市の説明では、工事を開始した当時はまだ家屋も疎らで、用地買収も容易だったのではないかと言うことです。
確かに今から65年も前のことですので、高畠、長瀬、久部、蛇崎の各地区も田畑が広がっていたでしょう。現在では、送水管の上に様々な建築物が建っているでしょう。寿命を迎えたら一体どうするのでしょうか。
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