2017年4月6日木曜日

寿屋 佐伯店

佐伯市民にとって「寿屋」と言えば、東京で言うところの「三越」「伊勢丹」「高島屋」に匹敵するほど、買い物の聖地でした。
市の中心と言える大手前に立地し、バスセンターが隣接する一等地でした。

更に言えば、佐伯市民にとって「寿屋」は誇りでした。
九州を中心に西日本でスーパーマーケットを展開する「寿屋」は、佐伯発祥の 地元企業だったのです。
本店は熊本市に移転しましたが、市民は寿屋は佐伯のものだと思っていました。

終戦後間もない1947年に雑貨店として開店し、その後衣料品を扱い始めます。
1961年に総合スーパーとして2階建ての店舗を開店します。花園と内町のまるしょく間辺りです。
この店で母親とはぐれ、迷子になった記憶があります。



佐伯で最初にエスカレーターを備えた地上三階建ての2店舗目は1966年の開店。急成長振りが分かります。
屋上には遊戯施設を設け、10歳の私には「夢」のような場所でした。

その八年後には、佐伯警察署の跡地に3店舗目となる、地上8階・地下1階の立派な店舗を開店し、我が世の春を謳歌していました。
佐伯初の展望エレベーターを備えていました。


しかし、その8年後の2002年には経営破綻により閉店しました。

流通業者としては、寿屋は厄介者の面がありました。

AV機器メーカーに就職した私は、寿屋の悪事に直面しました。
そのメーカーの製品は、有名ではありませんでしたがオーディオマニアの間で人気が高く、寿屋としては直接取引をして販売を希望していました。
「スーパーマーケット」の家電売り場での販売はそぐわないのでお断りしていたのですが、チラシにそのメーカーの製品を破格の安さで掲載し、周辺の正規販売店から度々抗議を受けていたのです。
どこから何台仕入れていたのか不明でしたが、明らかに嫌がらせでした。 1980年代初頭のことです。
奢れる者久しからず。
時代の流れを読み間違えたのか、前述の通り倒産に至ったのです。

老朽化した文化会館を、寿屋2号店(後の駐車場)跡地に建て替えるそうです。

亡霊のように残っているこの看板も、近い内に撤去されるでしょう。




ニシジマ時計店も、火事で焼失する前の土地に近日移転の予定です。


婦人衣料の店だったイノウエも近々取り壊されることになりそうです。


 2号店の地下構造物が撤去され、あと数件の建物がなくなると、新しい文化会館の工事が始まるのでしょうか。
 

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