2017年1月22日日曜日

豊後関前藩 杵築編

県北を廻る目的は、国東半島の寺社仏閣と、杵築城下の見物でした。
杵築城下の衝撃は、想像以上のものでした。
半日ほどで切り上げて、次の目的地へと思っていたのですが、結局一日城下で過ごしました。

まず城下町資料館の城下復元模型をみてびっくり。○千万円掛かったという模型は圧巻です。
残念ながら撮影禁止だったのでお見せできませんが、往時の様子が精密に再現されています。
杵築観光をするなら、最初にこの模型を見て、ボランティアの方の説明を聴くのがおすすめです。




資料館を出ると、よく写真で目にする景色に出会うことができます。
坂を下って行った先の谷にあたる筋に商家が立ち並んでいます。
更に坂を上がったところにある筋が武家屋敷です。
大きな武家屋敷はすべて見学できます。しかもボランティアの方の説明つきです。

何より驚いたのは、お城のロケーションです。
今は沖まで埋め立てられているのですが、当時のお城は海に突き出した崖の上にあったようで、ドラマに出てくる城を俯瞰した景色に酷似しています。
譜代松平家三万二千石という点が、佐伯先生の小説とは異なっているものの、明らかに杵築のほうが豊かな文化に育まれているように思えます。


本日は、一月場所の千秋楽です。地元出身力士「嘉風」は7勝7敗です。
勝つと佐伯大橋の近くから花火が上がって、勝利を知らせます。
今日も花火が上がることを願っている一市民です。






2017年1月21日土曜日

宇佐の掩体壕

県北を廻って来ました。
宇佐には佐伯と並んで航空隊がありました。
終戦の翌日、特攻に出撃した小説が城山三郎「指揮官たちの特攻」に記されています。

当時の滑走路が今は道路になっています。
ここから多くの隊員が特攻に出撃し、帰らぬ人になったと思うと痛みを覚える道路です。
その脇に、戦闘機を格納し敵機からの攻撃から護るための掩体壕が残されています。
戦争末期には多くの特攻機が宇佐から出撃していったとのこと。
料亭の柱には幾筋もの刀跡が見て取れるそうです。

宇佐市掩体壕

我が街に残されている掩体壕は、若干形状が異なっているようです。
今は興人敷地内にあって、興人の受付に氏名や住所を記入しなくては見学できません。
自由に見学できる施設にしてほしいものですが。

 格納する機種にもよるのでしょうが、随分異なっています。

 

2017年1月20日金曜日

矢野大和

我が街の有名人に、「矢野大和」という人物がいます。
実は、鷹鳥屋神社の神主なのですが、神職の傍ら宇目町(佐伯市合併前)の職員であり、そのころからふるさと大使として、全国を講演して回り、聴衆を元気にさせてきたという実績の持ち主です。
高校のころから落語の腕前はプロ並みで、話術は卓越していました。
プロの落語家にもその名を知られる存在です。
地元のケーブルテレビ佐伯では、番組も持って活躍しています。

鷹鳥屋神社近くの湧水の流れ

2017年1月18日水曜日

江戸友禅作家 伊藤幽水

高校の先輩に、江戸友禅の作画、染付を生業としている方がいらっしゃいます。
その名は「伊藤幽水」 です。



当然のことながら、すべて一点物です。
基本的には、購入者の希望に沿った図柄を考え、絵付けします。


非常に繊細で、複雑な色使いは、目を奪われてしまいます。
先日、実際に着物と帯を身に着けた女性と食事をする機会があったのですが、
上品な青色の亀甲柄の着物と、緻密な図柄の淡い水色の帯の組み合わせは、目を見張るものでした。

鷹鳥屋神社に行く前日、リアス式海岸部を幽水先輩とまわりました。
鶴見半島を望む展望台で、虹のかかった景色に出会いました。
きっと、作品のヒントになるでしょう。

2017年1月17日火曜日

豊後関前藩

佐伯泰英の時代小説で、NHKの木曜時代劇でドラマ化された「居眠り磐音 江戸双紙」は豊後関前藩という架空の藩を抜け出した元武士が主人公です。その豊後関前藩の設定が我が街だと言われています(諸説ありますが)。
磐音は直心影流の使い手ということですが、毛利藩は四教堂という藩校を設けて教育に力を入れると共に、直心影流の道場を作って武術の修練にも熱心だったのです。
満月の夜に、磐音が城下の端を流れる川(昔の番匠川と考えられます)に入って、水面に映った月を切るという場面もあります。
同じ「佐伯」と書きますが、泰英氏は「さえき」で、我が街は「さいき」と読みます。

毛利藩は「佐伯の殿様 浦でもつ」と言われたほど、豊後水道は魚介類や海藻が豊富に獲れました。
ドラマの中では藩の莫大な借金を返すために、磐音が販路開拓に一役買い、海路で江戸に運ぶという場面があります。



豊後水道の速い海流が豊かな漁場を育んでいる

ところが、これらの看板が……。

2017年1月16日月曜日

鷹鳥屋神社(2)

新年2日に訪れた、旧宇目町の山奥にある鷹鳥屋神社。
その厳しく、自然に包まれた立地環境に心を奪われたのですが、実は他にも語るべきことがあります。
一般的には、神社には一対の狛犬が社殿の前面に配置されています。
ところが、ここ鷹鳥屋神社は鷹の石像(狛鷹とでも呼ぶのでしょうか)が一対置かれています。
その由来は定かではありませんが、平家の落人伝説がある地域です。
壇ノ浦から源氏の追手を振り切って、大分県南部から宮崎県北部のリアス式海岸部に逃げ落ち、更に安住の地を求めて山奥を目指したと考えられます。
延岡市北浦辺りが直線距離では一番近いのですが、それでも20㎞以上あります。
もちろん、途中には5~700m級の山が幾重にも立ちはだかっている上に道もないわけですから、何年かかってどうやって辿り着いたのか、想像を絶するものがあります。









2017年1月15日日曜日

♪ 大入島にその昔……

我が街に大入島(おおにゅうじま)という離島があります。
と言っても、港から船で10分もかからないような近距離に浮かんでいる島です。

母校(佐伯鶴城高等学校)の校歌(三番)に

大入島にその昔
神武の帝 東征の
御舟繋がせ給えりし
巨巌聳えて今もなお
神の御稜威もいちじるく
みもいの古井 清水湧く

と謳われています。

母校の校歌は古語体で書かれています。

平たく言うと、
神武天皇が東方へ征伐に向かう途中に
大入島に船を停泊させました。
今でも巨大な岩が聳えている場所に
神の井戸が今も湧いています。

といったところでしょうか。

下の写真中央の井戸は、海岸から30mほどしか離れていないのですが、 真水が湧いています。
流れの速い豊後水道を北上し、大入島に辿り着いたところ、島の人に親切にしてもらったお礼にと、飲み水に困っていた島民の願いを聴いて、神武天皇が矢を射ったところから真水が湧き出したという逸話です。

 昔は「常栄丸」と呼んでいましたが、今は”キラキラネーム”化(?)しました。
この船で渡ります。

レンタル自転車で回ると、一時間強でしょうか。
多少アップダウンもあります。

小さな祠の前に「神の井」があります。