磐音は直心影流の使い手ということですが、毛利藩は四教堂という藩校を設けて教育に力を入れると共に、直心影流の道場を作って武術の修練にも熱心だったのです。
満月の夜に、磐音が城下の端を流れる川(昔の番匠川と考えられます)に入って、水面に映った月を切るという場面もあります。
同じ「佐伯」と書きますが、泰英氏は「さえき」で、我が街は「さいき」と読みます。
毛利藩は「佐伯の殿様 浦でもつ」と言われたほど、豊後水道は魚介類や海藻が豊富に獲れました。
ドラマの中では藩の莫大な借金を返すために、磐音が販路開拓に一役買い、海路で江戸に運ぶという場面があります。