道路が急に狭くなった地点から歩き始めました。
ここは市内中心部から直線距離にして10㎞程度です。
ラジオを諦めて歩きます。
日本の里百選だとは知りませんでした。
暫く歩くと、数戸の民家が集まった集落に着きました。
ここもエリア外です。この先の人々は携帯電話を自宅で受けられない生活をしているんですね。
そろそろ本格的に大越に突入しました。
しかし、自分が受けた強烈な印象の場所に出会いません。
山の中に炭焼き釜の跡を発見しました。
電気が通ったことを記念した「碑」です。
終戦後、漸く電気が来たみたいです。
個人情報が解放されています。
棚田が沢山あります。
平地が殆どない地区なので、平坦に近い土地はすべて活用しようとしたんだと思います。
こちらは、地区で共同管理していた炭焼き釜です。
右側にお地蔵様が数体。
DoCoMo は今でも利用できるのでしょうか。
ここでもAUは圏外でした。
この先は、先日訪れた直川の赤木ダムに通じる林道です。
今日の終点。
十数戸の「轟(とどろ)」という集落です。
★まとめ★
多分中学生の頃、自転車で初めて訪れたんだと思います。
とにかく強烈な印象でした。失礼な表現を覚悟で言えば、戦後二十数年経っていたのに未だ開拓中というような場所でした。掘っ立て小屋のような家が多く、道は砂利道で、バスすら通っていない部落でした。
家は立派になっていました。集落と集落の間を歩いている間、聞こえてくるのはせせらぎの音と鳥の鳴き声、谷間を抜ける風の音だけでした。車も滅多に通りません。
日本の里百選と言うことですが、このまま残ってほしいと思います。
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